ウルグアイ内政・外交動向(2006年11月~12月)
●概要
世論調査会社エキーポス・モリによる12月時点の政権への支持は約50%、不支持は約17%、大統領自身への支持は約58%と、好調な経済に後押しされ支持率は非常に良好である。
内政では、改革を公約に掲げるバスケス政権の最大のプロジェクトとも言って良い税制改革法案が可決されたことが大きい。
外交では、米国との通商協定が去る10月にFTAではなく貿易投資枠組み協定(TIFA)に落ち着いた後、関心事項となったのは、引き続きセルロース工場建設問題である。西国王が亜、ウルグアイ間の対話の促進の役割を買って出、11月、12月の間に特使が2度両国を訪れたが未だ解決の糸口は見えず、また国内では、南米首脳サミットやメルコスール共同市場審議会の際に二国の首脳間でいかなる動きがあるのかに注目が集まった。一方で、亜の活動団体によって国際橋梁が封鎖され、夏のバカンスシーズンに観光業界が打撃を受ける結果となったことを受け、ウルグアイ政府はICJに封鎖解除を亜政府に義務づける仮保全措置をとるよう申請した。
●内政
(1)与党・拡大戦線の党内選挙の実施
与党・拡大戦線の全国総会(Plenario Nacional)構成員(定員170名)及び各県総会(Plenario Departamental)の構成員(定員は各県の党支持者の数による)を選ぶ党内選挙が11月12日に行われた。ムヒカ農牧大臣率いるMPPが32.9%の得票率を得、与党内の最大派閥として更に得票率をのばした他、穏健派であるアストリ経済財務大臣を頭とするアサンブレア・ウルグアイ(14.1%)は2002年の前回選挙と比べ得票率を伸ばして僅差で2位につけ、FTA反対派であるガルガノ外相を党首とする社会党(13.7%)は得票率を大幅に落とし、3位に留まった。
(2)税制改革
12月4日、適用開始時期を巡って議論が続いていた新税制度は07年7月1日より開始されることが決定され、税制の効率化と公平化を目的とした税制改革案が12日に国会で可決された。右により、効率化のために、現行の28税目のうち徴税率の悪い15税目を撤廃され、公平化のために、消費税率(IVA)が現行の23%から21%に引き下げられ、個人所得税(IRPF)を導入し給与所得以外の所得にも課税されることとなる。
(3)2007年に政府が取り組むべき優先課題
11月24日、バスケス大統領は閣僚及び国会議員、国営企業の幹部などを集めて政権の現状分析及び2007年に取り組むべき優先課題について表明した。1)「生産的ウルグアイ(Uruguay Productivo)」を目指す為の戦略の具体化、2)労使関係整理に関する法律の制定、3)雇用創出、4)貧民層を対象にした国家緊急社会計画(PANES)からウルグアイ全国民を対象にする公正な社会を目指す政策(Plan de Equidad)への転換、5)治安問題、6)開かれた地域主義とメルコスールの両立の6つがあげられている。
(4)軍政期の人権侵害
(イ)ボルダベリー元大統領の身柄拘束決定
11月17日、軍政下に行われたエクトル・グティエレス元下院議長及び、セルマル・ミケリーニ元上院議員等4人の拉致及び殺害を共謀した容疑で、ボルダベリー元大統領(1972~76年在職)及びブランコ元外相を公判に付すべきとする予審判決(auto de procesamiento)が下され、併せて拘留決定も行われた。上記2人は予審判決が明らかになった後に控訴を行っている。
(ロ)大統領府令
12月26日、バスケス大統領は軍政期の行方不明者捜索に関する捜査を終了し、独立戦争の立役者、アルティガス将軍の誕生日である6月19日を「決して二度と(Nunca Mas)」人権侵害は行わない決意の日と制定する旨の大統領令を発出した。バスケス大統領は2005年3月の就任演説で軍政期の人権侵害に関する調査を行う旨表明しており、2005年半ばより行方不明者の遺体捜索が軍用地等で行われ2体の遺体発見と身元確認が行われたが、その後も捜査は継続されたものの、発見には至らなかった。また、遺体捜索の最終報告書及び陸海空三軍が提出した軍政期の人権侵害に関する書類の精査を行った報告書が、本件調査を請け負った共和国大学の3人の歴史専門家によって11月に提出されたことから、これ以上の新事実はでてこないであろうとの判断の下、行方不明者捜索に一応の決着をつけたものである。調査書は出版される予定。ただし、大統領府内に本件を扱う部局は残す予定であり、これは行方不明者に関する「捜査」及び「調査」を行うための「第一の時期」の終了であり、新事実が発見された場合に調査再開を妨げるものではないとバスケス大統領は表明している。
●外交
(1)イベロアメリカ・サミット
11月3日~5日の間、モンテビデオにて「移民と開発」を主要テーマに据え、イベロアメリカ・サミットが行われた。ルーラ伯大統領やチャベス・ベネズエラ大統領等、最終的に22ヶ国中8元首が欠席したことを受けて、サミットの存在意義を疑問視する声も上がる中、地域内協力を歌うモンテビデオ宣言、移民と開発に対するモンテビデオ・コミットメント、イベロアメリカ文化憲章が採択された。
(2)セルロース工場建設問題
(イ)西国王による対話促進
11月3-5日に行われたイベロアメリカ・サミットの場でフアン・カルロスI西国王がウルグアイ・亜間の対話を促進(facilitar)する役割を買って出た。15-16日にヤネス国連代西大使が西王の特使として両国を訪れ対話の再開を促したが、ウルグアイ政府は「国際橋梁が封鎖されている状況の下ではいかなる交渉も行わない」と表明した。12月4日~7日、ヤネス西特使は第2回目のモンテビデオ及びブエノス・アイレス訪問を行い、両国の対話再開を促進するために両国首脳と別個に会談を行ったが会談内容は発表されず、両政府とも沈黙を守っている。
(ロ)世銀の動き
11月21日には世銀理事会において国際金融公社(IFC)による1.7億ドルの融資及び国際投資保証機構(MIGA)による3.5億ドルの民間投資保証が、23票対1票の賛成多数によって決定した。
(ハ)国際橋梁封鎖
上記の世銀による融資決定を受けて亜の市民団体は活動を活発化させ、夏季バカンスの開始を前に、亜の活動団体は国際橋梁の封鎖を本格化させた。11月19日、グアレグアイチュ市の環境団体は、同市とフライ・ベントス市を繋ぐサン・マルティン将軍橋を夏の間封鎖する決定を行い、これに呼応する形で12月1日、コロン市とパイサンドゥ市を繋ぐホセ・アルティガス将軍橋でも断続的封鎖が開始された。また、上記2つの市に同調し、コンコルディア市の活動団体も同市とサルト市を繋ぐ橋の封鎖を行う旨12月6日に表明し、これが実現すればウルグアイと亜を繋ぐ陸路は全て封鎖されという状況になるが、最終的に第3の橋の封鎖は行われなかった。
(ニ)ICJへの仮保全措置要求
11月29日、ウルグアイ政府はカルロス・モラ在オランダ大使(Carlos Mora)を通じて、亜政府は橋梁封鎖を解除する措置をとるべきとする仮保全措置を求める申請をICJに対し行い、両国により12月18、19日に口頭陳述が行われた。
(3)ベネズエラのメルコスール加盟問題
11月2日深夜、ウルグアイ国会は特別セッションにて、ベネズエラのメルコスール加盟に関する議定書を承認した。
●要人等往来
(1)11月3-5日、第16回イベロアメリカ・サミットがモンテビデオにて開催され、フアン・カルロスI西国王、サパテロ西首相、フォックス墨大統領、モラレス・ボリビア大統領、ドゥアルデ・パラグアイ大統領、バチェレ・チリ大統領、キルチネル亜大統領、ウリベ・コロンビア大統領他が来訪、またアナン国連事務総長も招待された。
(2)レプラ・工業エネルギー鉱業大臣が訪日し、菅総務相及び経済産業省審議官他と会談した他、東京で行われたJETRO主催の三カ国展(ボリビア、パラグアイ、ウルグアイ)を視察した。(11月11日~17日)
(3)11月15日-17日、フェルナンデス大統領府長官、アストリ経済財務大臣が、BOTNIA社セルロース工場建設への世銀融資、米国とのTIFA交渉の為訪米。
(4)11月22日に行われたウルグアイラウンド20周年記念会合出席のため、ラミーWTO事務局長が来訪した。
(5)12月5日、フェルナンデス大統領府長官とアストリ経済財務大臣はチリを訪問し、地域統合及び通商拡大のテーマにつきバチェレ大統領、ベラスコ蔵相と会談した。
(6)12月8日、チャベス・ベネズエラ大統領がボリビアで行われる第2回南米共同審議会首脳会合に出席する途中、伯亜に続きウルグアイを訪問し、バスケス大統領と昼食を共にした。
(7)12月8,9日にボリビアのコチャンバンバで行われた第2回南米共同審議会首脳会合にバスケス大統領が出席した。
(8)15―16日、ブラジリアで開催されたメルコスール共同市場審議会経済財務相及び外相会合がブラジリアで開催され、アストリ経済財務大臣及びガルガノ外相が出席した。